文化の日

 11月3日の祝日を「文化の日」と名付けたのは、日本国憲法の公布が1946年11月3日だったからです。「憲法」と「文化」は、関係性がないように感じますが、戦争放棄・主権在民・基本的人権を宣言した日本国憲法は、平和と文化を最重要視しています。日本国憲法の公布を記念して、「平和への意思を基盤とする文化を、発展・拡大させよう」という趣旨のもと、11月3日を文化の日としたのです。戦前、11月3日は明治天皇の誕生日で「明治節」と呼ばれていました。敗戦したとはいえ、明治天皇は、それまでずっと日本人にとって心の拠り所だったのです。

 現在、参議院議員は地域や政党から選ばれていますが、当時の帝国議会は参議院の前身である貴族院で、貴族院は皇族や華族、官僚や大学教授、高額納税者などから選ばれる勅選議員から成り立っていました。貴族院議員は終身制で国民に選挙で選ばれる議員ではありません。貴族院では明治天皇の誕生日を祝日として遺したいと考えていました。しかし、日本を占領していたGHQ(連合国軍最高司令部)は、明治天皇の誕生日を憲法記念日にすることには強く反対していました。日本に再び戦争させないためには、日本人を団結させた天皇=神という構図はなんとしてもなくさなければならないと考えていたからです。国民の投票によって選ばれる衆議院議員は、いつでも解散の可能性があって、その時の国民の思いを反映しやすくなっているのですが、衆議院では11月3日を憲法記念日にすることに、貴族院ほどこだわっていませんでした。おそらく、国民は敗戦後のこの時期は日々の暮らしを生き抜くのに精一杯で明治天皇の誕生日には戦前ほどこだわらなくなっていたのではないでしょうか。そこで衆議院は、GHQの要求に沿った5月3日を憲法記念日とすることを可決、貴族院と対立します。

 本来、衆議院の優越で、11月3日は何もない日とされるところだったのですが、GHQが突然、「11月3日を祝日にするなら、何の記念日が良いか?」と打診してきたのです。GHQの11月3日を祝日にしても良いという打診を承けて、明治節だった11月3日は、「文化の日:自由と平和を愛し文化をすすめる日」として残ることになったのです。憲法公布の日ですから、憲法の理念である「自由」と「平和」が採り入れられました。当時の日本人は古いものを残したい気持ちと、新しい日本のあり方を望む気持ちがあったのでしょう。GHQには古いものをなくしたいが、ある程度は日本人の天皇への思いを尊重した方がうまく日本を統治できるという考えがあり、丸く収めたというところなのでしょう。

 「体育の日」や「敬老の日」は第○月曜日と決まっており、ハッピーマンデーで毎年連休となりますが、「文化の日」は、もともとが「明治節」の明治天皇の誕生日ですから日にちが大事、ハッピーマンデーにはできないようです。文化の日は博物館・美術館の無料公開、市民文化祭、図書館・公民館での生涯学習講座、大学の公開講座、子供向けの自然体験教室や伝統芸能の鑑賞会、伝統工芸の体験講座など、様々なイベントが行われているようです。確認してお出かけしてみてはいかがでしょうか。